レッドブルの人に「レッドブルって飲み過ぎたら死ぬんですか?」って聞いたら、「レッドブル飲み過ぎなきゃいけない状況にいることがまず危険です」って正論言われた。まさにそれ。
Aww ♡
給食費払ってるから、給食に「いただきます」を言う必要ない(いただくわけじゃないから)っていう親からの意見を受けて、太鼓とかの合図で食べるようにした、って話聞いて、あ、この国は滅びるんだな、って思ったよね。 (http://bit.ly/JNe9GQ)
フィリピンスナックで飲んでんだけど、嬢がレイテ島出身って言うから「戦争のとき日本人がいっぱい死んだところだね。」って言ったら「そう。日本人カニ食べる、カニ、日本人食べる。」だって。
#ナウシカ歌舞伎化
問われて名乗るもおこがましいが
産まれは東方トルメキア
十四の年から親に放れ
身の生業も悍ましき 腐海越えたる軍働き
指揮はすれども非道せず
人に情を土鬼から 風谷かけて城々で
魔女と噂高札に 廻る配附の盥越し
辺境諸国に隠れのねえ 三軍の首領白魔女クシャナ— 平野耕太 (@hiranokohta)
December 12, 2018
“どうやら、人間の愛情というのは、結婚してから「3年」でなくなるらしい。 結婚して20年、30年続いている夫婦がいますが、この人たちがどうして長く続いているのかというと、結婚してから3年の間に、「愛情以外の別の概念」をつくり上げることができたからです。 愛情を永遠のものだと勘違いして、その愛情だけに寄りかかっていると、結婚生活は破綻をきたすらしい。 「いつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、「いつまでもこの人から愛され続けるだろう」と信じていても、生物学的に見ると、愛情は、「結婚後、3年で終わってしまう」ようです。 結婚すると、普通は「ゴールイン」といわれますが、じつは結婚した瞬間から、「3年間の執行猶予(しっこうゆうよ)」がはじまります。 この執行猶予中に、「愛情以上の価値観=尊敬」をつくり上げることが「結婚生活」のようです。 では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。 それは「常に相手のよい面を見つけること」です。 目の前の夫、目の前の妻を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部受け入れる(感謝する)。 そして、相手のすばらしいところ、社会のよいところ、宇宙の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになります。 同じ言葉を他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、同じ言葉を妻(夫)から言われると、すぐに腹を立てる夫(妻)がいます。 外では踏み止まれるのに、家では踏み止まれない(正確に言うと「踏み止まらない」)のは、「幼児性」があるからです。 結婚は、何のために存在するのか。 じつは「幼児性を克服するため」に存在しているようです。 家庭というものは、自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもありません。 家庭は「幼児性を削って大人になる作業をする場所」として存在しているらしいのです。 結婚をして、わがままが言える相手ができた状態になったとき、いかに踏み止まって相手を受け入れるか。 それを問われているのが「結婚の本質」のようです。”
— 結婚は、何のために存在するのか|人の心に灯をともす (via drhaniwa)
思い当たる
ブラジルには「マオ・レゾルビーダ(未解決の人間)」という言葉がある。スペイン巡礼した時に、ブラジル人エリートのマルコスに教えてもらった。
このインタビューで詳しく話しているけど、「マオ・レゾルビーダ」というのは個人的な問題、たとえば家族だったり、恋愛だったりその人の人格を裏付ける内面の問題を自分で乗り越えたり解決できていない人のこと。
「どんなにエリートでも、自分の問題を解決できていない人は人に当たったり、暴力的だったり、他人を攻撃することで自分を満たそうとする。社会的に成功したりしていてもそういう人には気をつけないと行けないよ」とマルコスは教えてくれた。
自分自身の解決できない問題を人にぶつける人。